1/1ページ目 晴れた日の昼下がり、遊歩道を逸れて森に踏み込もうとしている若者がいた。 「お一人ですか?」 いきなり声を掛けられ、驚いて後ろを振り向くと、そこには気味が悪いほどにこやかな笑みを浮かべている老人の姿があった。 自殺防止パトロール中のボランティアらしい。萌黄色のリボン形のバッジをしている。 「私は大丈夫ですから……車で来ました。あそこの道路脇の空地に停めてあります」 元気な声が返ってくると、老人の顔から笑みがすっと消えた。 この笑顔なら死なないだろう。 「呼び掛け看板見ましたか? これもどうぞ」 チラシを見せながら活動の趣旨を説明した。 「遊歩道から外れると足場が悪いから、十分気を付けてください。あっちこっちに溶岩の割れ目があるし、木の根っ子だらけだし……おまけに、おととい降った雪がまだ残ってるから……日を改めて出直したほうがいいかもしれませんねえ」 若者は無言でうなずく。 別れ際に、老人が聞いてきた。 「今日は有給休暇を取ったんですか?」 「いえ、僕普通のサラリーマンじゃないので、今日は公休日だから……妹が行方不明になって今日でちょうど1年目なんです。この森で目撃されたのを最後に消息を絶ったらしいので、彼女が好きだった桜の花を手向けに来ました。まさか枝を折れないので、この時期落ちてる花びらを拾い集めるのに苦労しました」 「あ、そうですか。お弔いですか?」 老人は表情を曇らせた。 まだ昼間だというのに、森の中は薄暗かった。頭上では枝が複雑に絡み合い、覆いかぶさるようにして、陽光を遮っていた。 ひと足ごとにサクサクと音がする。雪がうっすらと地面を覆っていた。 遊歩道や看板が見えなくなると、東西南北どの方角を見ても密集した樹木しかなく、特徴のない似たような風景が続いている。 足場が悪くまっすぐ進めないこともあり、どこから入ってきたのかさえわからなくなって、途方に暮れてしまった。 がくんとうなだれて足元に視線を落とすと、自分の足跡の横にもう一人の足跡がついていた。 先行者がいるのかもしれない。 一か八かその足跡を辿ってみることにした。 しばらく歩いているうちに、頭上を覆う鬱蒼とした木々は不意に途切れ、そこだけ何故かぽっかりと開いた空間に出た。 淡い陽光が差す中、その中央部に進んでいくと、足跡は忽然と消えていた! いやな予感がして辺りを見渡す。 端のほうに雪に埋もれた鹿の死体があった。 不意に背後に気配を感じて、ゆっくりと振り返った。 やはり誰もいない。 視線を前に戻すと、目の前の真っ白な雪の上に足跡だけが1歩、1歩ついていく。 その瞬間、身も凍るような戦慄が全身を駆け抜けた。 「うわああーっ!」 静寂を破る叫びが響いた。 投げ出された桜の花びらが雪の上に血のように散らばる。 雪の上にへたり込んだ若者の耳に、どこかで、水が落ちるような音が聞こえていた。 [指定ページを開く] <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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