「桜の咲く頃に」を読む

恋路 1月29日 
1/1ページ目

 ウインドライダーは、車椅子の生活になってから出かけることがめっきり少なくなった。
 チェリーフラワーに出会っていなければ、おそらく訪れることもなかっただろう地区は、市の中心部を挟んで反対側にあった。古風な街並みの残る地域らしい。
 地下鉄を乗り継いで40分。「白川」という駅で降りる。
 初めての駅なので不安で一杯だったが、誰の手も借りることもなく、ホームの端のエレベーターに乗り、シースルー改札を出て、地上に出ることができた。
 駅を出て信号を渡ると、商店街の入り口にいた。
 陽が傾き始め、気温も下がり出している。
 行き交う買物客の中を縫うように進んでいくと、あちらこちらから威勢のいい掛け声が響き、食欲をそそるいい香りが漂ってくる。何だか自分まで家路を急いでいるような気分になってきた。
 チェリーフラワーからかなり長い商店街だとは聞いていたが、どこまで行っても果てしなく続く。途中に神社があったが、色褪せた朱色の鳥居を横目に通り過ぎる。三つ目の信号を渡って、疲れを感じながらも車椅子をこぎ続けると、ようやく終わりが見えてきた。
 あ、ここだ! 驚かしてやろうと思って突然訪ねてきたけど、いるかなあ? 
 それにしてもなかなかレトロな感じの店構えだ。近所に美容室、ベーカリーカフェ、レストランなど洒落た店が多い中で、ここだけ空間が切り離されたような雰囲気だ。
 商店街の終わりの方にある和菓子屋の前に止まって、ウインドライダーは一瞬戸惑ってしまった。
 意を決して紺色ののれんをくぐりガラガラと引き戸を開けると、妙に生暖かい空気が流れてきた。何だかいやな予感がする。
「いらっしゃーい!」
 年配の男女が気味が悪いほどにこやかな笑みを浮かべて、迎えてくれた。
 こじんまりとしたガラスのショーケースには和菓子が行儀良く並んでいる。
「あの〜、麗香さんはいますか? オフ会で知り合った者ですが……」
「あ、そう。おーい、麗香、お客さん」 
 店主らしきおやじが大声で叫ぶと、奥の方から濃密な薔薇の香りが漂ってきた。
「あ、訪ねてきてくれたんだー」
 チェリーフラワーの顔から思わず笑みがこぼれる。
「お、振袖かあ」
 そう言うウインドライダーの口元が緩んでいる。
「あたし新成人だから、親が奮発して買ってくれたんだ。振り袖って元々あまり普段に着るような着物じゃないんだけど、家にいるときは店の手伝いしてるから……」
 チェリーフラワーは照れくさそうに微笑んだ。
「あ、そうか。看板娘みたいなもんだな。あ、それでチェリーフラワーって二十歳になったんだー」
「それが、まだ誕生日までには日があるんだけど……」
「あ、そっか。じゃあ二十歳の誕生日を一緒にお祝いしようよ」
 ウインドライダーの顔にぎこちない笑みが浮かぶ。
「……ありがとう。ねえ、あたしこう見えても一応着付け教室通ったことあるから、今日も一人で着れたんだよー」
 そう言い終わらないうちに、くるりと回って見せた。
 黒地に白と淡いピンクの桜の花びらが舞っている。帯も淡いピンクで、黒い草履の鼻緒にも白い桜の模様が入っている。髪飾りも桜をデザインした物だ。
 ウインドライダーは、すっと視線を外して、照れくさそうにぼそりと言う。
「正直言って、入るのにちょっと勇気がいったよ。俺和菓子なんて食べないから……」
「食べず嫌いじゃないのかなあ? この季節の和菓子っていえば、やっぱ桜餅かな? 取って置きのやつ食べてってよ。うちのはあんがさっぱりしてるから、何個でも食べたくなるよ」
 チェリーフラワーの長いまつ毛の下の大きな瞳が妖しい光を放っている。
 勧められるままに塩漬けの葉ごと淡いピンク色の皮をほおばると、優しい桜の香りが口いっぱいに広がった。
「おいしいね! 葉もやわらかい!」
「その葉はある特別な桜の木から取ってくるんだって……よくは知らないんだけど……」
「チェリーフラワーは食べないの?」
 二つ目を取って、ウインドライダーは不思議そうな顔をしている。
「あたしは……」
 その時おやじは、ウインドライダーに気付かれないように、チェリーフラワーに向かってそっと目配せした。
「じゃ、ちょっとそこまで行こう。ここじゃ落ち着いて話もできないし……」
「え、出かけるの? 君が言うから夕暮れ時に来たけど、最近、こんな時間帯に出歩いたことないよ」
 戸惑うウインドライダーを気にも留めず、チェリーフラワーは淡いピンク色のファーショールを羽織っている。ふわふわしていて暖かそうだ。

 行き先は、商店街裏の公園だった。
「冬の夕暮れ時って暮れるの早いし、冷え込んでくるから、こんな時間に公園に来る奴なんかいないんじゃないか?」
 ウインドライダーは、すぐ近くのコンビ二で買ってきたコーヒーをすすりながら言う。
「だから、いいのよ。こうして二人きりになれるから」
 二人並んでベンチに座り、夕陽に染まった滑り台のシルエットを眺める。
 ウインドライダーは、暗くなるまで滑り台で遊んだ頃を思い出していた。
「人影もまばらで物悲しい雰囲気だね」
「だから、こうして二人一緒にいるんじゃない。じゃあ、こうしてあげるよ」
 チェリーフラワーは、ミトンをはめた手でウインドライダーの手を包み込む。
「あったかい」
 ウインドライダーの口から、思わず声が洩れる。
「じゃ、これは?」
 チェリーフラワーはウインドライダーの肩に頭を載せてきた。
 濃密な薔薇の香りに包まれて、ウインドライダーは頭がくらくらしてきた。
 なんでいつもこんなに浴びるほどつけるわけ?
 喉まで出かかった言葉を慌てて飲み込む、なぜか聞いてはいけないような気がして。
 すぐそこまで夜の帳が下りてきていた。逢魔時の空は、藤色から藍色、そして深い紺色へと移り変わっていく。
「いい物見せてあげるから……」
 そう言うと、ウインドライダーがベンチから車椅子に移るのを助ける。
 カラカラと車輪が回転する音だけが、ウインドライダーの耳に入ってくる。
 公園の反対側に着くと、チェリーフラワーは静かに口を開いた。
「ほら、見てごらん。まだ咲き始めだから、注意して見てないと見過ごしちゃうかも」
 細長い指先が示す先には、淡いピンク色の花があった。今にも咲きそうなつぼみは紅色だ。
 ミトンを脱いだ手の指先は、おしゃれなネイルアートで彩られていた。
 濃い目のピンクネイルの上に、桜の花びらが舞い降りて風に舞っているようだ。
「これって寒桜? この間初めてオフ会に行く途中で見た。それまで桜って春にしか咲かないと思ってた……」
 勝手に言葉が口を突いて出た。
「今日はそろそろお開きにしよっか」
 ウインドライダーは、肩にそっと触れてきたチェリーフラワーの手に自分の手を重ねた。その手のあまりの冷たさにぞくぞくっと背筋が凍る。
「また会えるかな?」
 やっとのことで絞り出した声は、弱々しく震えていた。
 チェリーフラワーは悪戯っぽく微笑んで、慣れた手つきで車椅子を押し出した。
「あたしのようなイケてる女とまた会えるって思うだけでドキドキして、自殺したい気持ちなんて消えちゃうんじゃないの? あたしあなたには死んでもらいたくないから……」
「『ありがとう』って言えばいいのかな? でも、自殺志願者のオフ会に一人で行って、女同伴で帰ってくるってのもなあ……」
「そもそもウインドライダーって、本当に自殺しようって思って参加したわけ? それとも、ただの興味本位だったりして」
「あのさー、興味本位だけでああいうとこ行く奴いないと思うけどね。今だから言えるけど、コールドブラッドに車椅子押してもらってる間中、ずっとびびりっぱなしだったんだから……生きて帰れるのか不安でたまんなかったよ」
「ちょっと、本気で死を考えてる人間が何言ってんのよ」
「……本当のこと言うとね。オフ会行って死ぬ決心が付くどころか、人が死んでいくのを目の前で見て、死への恐怖が強まったよ。それよりもさあ、君のような自殺とは縁遠い世界に住んでるようなギャルが、どうしてあんなオフ会に行くわけ? 俺理解に苦しむよ」
「あのね、ウインドライダー、確かにあたしは自殺志願者じゃないけど、人は見かけによらないんだって。あたし幸せそうに見えても、それと同じくらいの不幸を背負ってるのよ。実はお姉ちゃんが自殺しちゃって、もう1周忌法要も終わったっていうのに、悲しみってなかなか癒えないものなのよ。残された家族は人には言えない苦しみを味わって……あたしお姉ちゃんの後を追おうとしたけど、死に切れなかった……」
 一粒の涙がピンクのチークを伝う。
「……だから、あたしは自殺志願者を一人でも思いとどまらせたいの。こんな思いを他の家族にまでさせたくないもの。あたし一人の力なんてたかが知れてるけどね」
「そんなことないって。君のおかげで俺ももう少し生きてみるのもいいかなって思えてきた。とりあえず君の二十歳の誕生日までは生きなきゃな」
 チェリーフラワーに押されて公園を出ていく車椅子の影は、少しずつ闇の中に溶けていった。


[指定ページを開く]

章一覧へ

<<重要なお知らせ>>

@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
@peps!・Chip!!は、2024年5月末をもってサービスを終了させていただきます。
詳しくは
@peps!サービス終了のお知らせ
Chip!!サービス終了のお知らせ
をご確認ください。




w友達に教えるw
[ホムペ作成][新着記事]
[編集]

無料ホームページ作成は@peps!
無料ホムペ素材も超充実ァ