「桜の咲く頃に」を読む

「悩める子羊たち」 2月24日
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 エレベーターを待っていると、横にある非常階段を下りてくる靴音が聞こえてきた。
 こんな時間に一体誰が?
 靴音が近づくに連れて嫌でも緊張は増してくる。
 やがて扉がゆっくりと開き、懐中電灯を片手にした警備員が姿を現した。
 屋上からスタートして下に向かって各階を順次巡回しているのだろうか?
 うつむいたままの男はそんなことをふと思う。
「今からどちらへ? 正面玄関はもう閉まってますよ」
 二人の顔を交互に不審そうに見てくる。
「地階の自動販売機までちょっと……その後、病院の敷地内を散歩するだけで……外出許可も外泊許可ももらってないので……」
 面会時間もとっくに終了してるのに、車椅子の患者連れてどこへ行くっていうのよ。
 女は心の中でそう毒突いていた。 
「今夜もずいぶん冷え込みそうだから、風邪をひかないように……」 
 警備員はそれだけ言うと背を向けて歩き出した。
 階数表示の光がゆっくりと上がってくる。
 やがて到着を示す金属音がチンと鳴った。

 絶え間なく流れ落ちる滝の音に重なって、話し声が聞こえてくる。 
 暗闇に青白く生気のない顔が二つ浮かんでいた。
「障害を受け入れて前向きに生きてる人もいることはわかってる。車椅子でも、仕事やスポーツにがんばってる人がいることも知ってる。でも、俺はもう人生投げた。バイクに乗れない人生なんて受け入れない。バイクでかっ飛ばせなきゃ、風になれないんだよ。俺は生きる屍になんかなりたくないから、いっそのこと一思いに何もかも終わらせたい」
「でもね、ウインドライダー、将来に夢も希望も見出せない若者なんてざらだよ。何のために生きてるのか、これから何をすればいいのかわかんなくても、みんな惰性で生きてるのよ。あたしだってそうだよ」
 突き放すように言い捨てたメリーラムは、一瞬さびしげな微笑みを浮かべると、今度はやさしく説得調になった。
「ねえ、彼女と力合わせてがんばれば……確かもうすぐ彼女の二十歳の誕生日だったと思うけど、一緒にお祝いしなくていいわけ?」
「もうそんなこといいんだ、いつ電話しても繋がらないんだから。せめてバレンタインデーぐらいは一緒に過ごしたかったんだけど……俺日ごとに体調が衰えてるから、今となっては和菓子屋に捜しに行くこともできないし……彼女が最後の希望だったのに……」
 それだけ言って、ウインドライダーも力なく微笑んだ。
「……」
 メリーラムが言葉に詰まると、二人の間に気まずい沈黙が流れた。
 ウインドライダーはふと夜空を見上げる。
 赤みを帯びた半月が低く浮かんでいた。
 確か赤い月は不吉の前兆じゃなかったのかなあ? そんなこと、もうここまできたらどうでもいいか。
 そんなことを考えながら、沈黙をさり気なく破るように口を開いた。
「……あのさあ、話は全然変わるけど、4月にこっちの女子大に入学するんだろ? 俺が逝った後、あの部屋に住めばいい。家財道具も一式揃ってるから、家具付きワンルームって感じだよ」
「え、やっぱり」
 メリーラムはぽつりと洩らす。
「『やっぱり』ってどういうこと?」
「死のうと決心した人間はやさしくなれるんだよ」
「そういうもんか……男所帯だから何か殺風景だけどな。身辺整理っていうか、昨日いらない物も処分しといたから、片付いてるよ。遠慮すんなって」
「じゃあ、遠慮なく。入試もとりあえず終わって、あとは来週の結果待ち。はっきり言って手ごたえあったんだ」
 心なしか声が弾んでいるように聞こえる。
「たまには俺のこと思い出してくれよな」
 ウインドライダーは顔を横向き加減でうつむかせて、煙草の煙を吐き出す。
「何しめっぽいこと言ってんのよ。でも……本当はチェリーフラワーに住んでもらいたかったんじゃないの?」
「いや、そんなことは考えもしなかった。ただでさえお姉さんの1周忌法要が終わったばっかで、ブルーな気分だっていうのに、あの部屋で一人暮らし始めて、心細くなって、俺の後を追うとか、そんな考えに取り付かれでもしたら……彼女には俺みたいになってもらいたくないから……」
「……ウインドライダー、冥土の土産に本当のこと教えてあげるよ。チェリーフラワーに姉なんていなかったって聞いたら、ショックかな?」
 メリーラムは反応をうかがうように、ウインドライダーの顔を覗き込む。
 動揺が痛いほど伝わってくるが、そのまま言葉を続ける。
「よく考えてみなよ。オフ会参加者がどんどん自殺を遂げていく中で、いつもトリを努める彼女だけ、いつまで経っても死なないんだよ。何か変だと思わないかい?」
 急に声色が変わった。
「彼女1年前にこの滝に身を投げて死んでるのよって言うか、行方不明になったって言うか、死体見つかってないから……どうやら命日にこの世に戻ってきたらしい。そりゃ、あたしだって、初めて会ったときは幽霊だなんてわかんなかったけどね」
「え、そんなことって……」
ウインドライダーは絶句して、メリーラムの視線から逃れるように顔を伏せた。
 チェリーフラワーが普通じゃないことは薄々感じてはいた。それでも、そんなことは受け入れたくなかった。
 うつむいたまま動かなくなったウインドライダーの脳裏に、チェリーフラワーのいたずらっぽい笑顔が浮かんでは消えていく。
「そんなことだったら……どうしてもっと早く言ってくれなかったんだよ……まあ、いいか。運がよければ、あの世で彼女に会えるかもしれない」
 その声は掠れ、震えていても、言葉を紡ぎ続ける。
「……メリーラム、後で下へ行って俺の最後を見届けてくれないかなあ? 自殺し損なって、重い後遺症を背負って生きてくなんて嫌だよ。この高さから飛び込んで死なない奴なんかいないと思うけど、運悪く足の骨折だけで死に切れずに苦しんでるようだったら、救急車呼んでくれ。こんな所まですぐには来てもらえないけど……」
「そんな心配いらないって。コールドブラッドもクイーンクリムゾンもリガルドもあたしたちの目の前で、ここで死んでいったじゃない?」
 メリーラムは冷たい口調で言い放つ。
 そんなこと今さら聞かなくてもわかってるよ!
 ウインドライダーは喉まで出かかった言葉をぐっと飲み込む。
 少しためらった後、心の中のもやもやを吐き出した。
「……今まで聞きそびれてたんだけど……あいつらが命を落とした翌日から2、3日わざわざ新聞買って探したんだけど、結局、遺体が発見されたって記事見つからなかった……」
「意外と滝壺の水深深くて、死体が浮いてこないのかも……」
 メリーラムは語尾を濁した。
 ウインドライダーの顔は、蒼白を通り越して真っ白になっている。
 何の感情も映さないメリーラムの瞳をじっと見つめ、その右手を震える両手で包み込むように握り締める。
「……いろいろとありがとな。俺みたいな体じゃこんな山奥まで一人で来れっこないし、おまけに臆病者ときてるから、一人で飛び込む勇気もない……オフ会じゃ他の奴らが死んでくの見てびびってるだけで、自分がやる勇気なんて奮い立たせられなかった。誰かに手伝ってもらうしかなかったけど、チェリーフラワーに言えば止められることわかってたから……君に会えてよかったよ、他に頼める奴なんかいなかったから。もう悔いはない。一思いに突き落としてくれ」
 メリーラムに支えられ、かろうじて車椅子から立ち上がる。
 足ががくがくと震え出す。
 覚悟を決めたウインドライダーは、両腕を左右に大きく広げた。
 冷たい風が頬の横を通り抜けていく。
 人生最後の瞬間、ウインドライダーのコテハン通り風に乗ってみせるぞ!
 心の中で叫んだ。
 不意にコールドブラッド、クイーンクリムゾン、そしてリガルドの横顔が脳裏をよぎる。
 それと同時に、あの時彼らが残していった恐怖が甦る。
「スリッパ脱いでちゃんと揃えてくれたよね? 遺書も置いてあるよね?」
 少しばかりハスキーな声に現実に引き戻された。
「ああ、言われたとおりにしたよ」
「あ、それから、あの和菓子屋の桜餅食べたよね?」
「え」
 予期せぬ質問に一瞬たじろいだ。
こんな時に何を言い出すんだ? どうしてそんなことまで知ってるんだ?
 思わず振り返った瞬間に、メリーラムと目が合った。
無表情な瞳に妖しい光が宿っていた。
「桜の葉も一緒に食べた?」
 恐る恐るうなずいたウインドライダーの背中を、メリーラムは思いっきり蹴り飛ばした。
「ひやあ〜」  
 奇妙な悲鳴を残しながら、ウインドライダーの体は漆黒の深い闇の中へと消えた。
「ったく、しようがないわねえ。ここしばらく下に行ってなかったから、ついでにどうなってるか見に行くとすっか」
 にやにやと薄笑いを浮かべながらスリッパと遺書をさっさっと片付けると、慎重に滝壺へと下り始める。階段などの整備も全くされていないので、かなりの急坂だ。まずどうにか滝を正面に見られる展望スポットにたどり着く。ほっと息つく間もなく、今度はさらに急な坂をロープを伝って下りていく。広場のような所に出た。
 真近かに見られる滝壺を懐中電灯で照らす。
 白い泡の中から何か白い物が浮き上がってきている。どうやら白い花びらのようだ。近くに咲いている花が散って滝壺に落ちたのかもしれない。
 でも、白い花を咲かせている木や植物など、懐中電灯でどこを照らしても見つからない。
 じっと目を凝らして滝壺を見ているうちに、心臓が凍りつきそうな戦慄が体の奥から沸き上がってくるのを感じた。
 白い花びらに見えた物は、おびただしい数の青白い手首が先を競って水中から伸びている姿だった、メリーラムを死の淵に引きずり込もうとするかのように……。
「ふふふふふ。邪悪な浮かばれないものたちよ。今頃、ウインドライダーは、あの手首たちの餌食にでもなってるのかしら」
 不気味な笑みを浮かべて、足早に離れていく。
 揺れる背中を蹴り飛ばした感触が、まだ足の甲に残っていた。
「じゃ、後は頼んだわよ。あ、車椅子は、とりあえず来たときと同じように、折り畳んでトランクに入れといて」
 メリーラムがそう言うと、誰もいないはずの暗闇の中から返事が返ってきた。
「冷えてきたねえ。足元に気をつけて帰ってよ」
 滝壺に向かって背の高い人影がバシャバシャと水音を立てながら歩いていく。
 手首の群れが波を立てながらすーっと後を追っていく。
「あ、それから、明日、朝一で和菓子屋に桜の葉の納品やっとくから」
 突然、水音が止まり、暗闇の中から再び声がした。
「よろしく」
 そう言い終わると同時に、メリーラムは心の中で呟いた。
 そのうちあたしの番がやってくるんだろうな。そろそろここも潮時かなあ。次のオフ会から別の自殺スポットに移動すっか。
 下りてきた坂を戻っていく。
「うわあああーっ!」
 闇を切り裂かんばかりの絶叫が響き渡った。
 滝壺に引き込まれていくハングマンの目には、奇妙な光景が映っていた。
 頭からどくどくと血を流すウインドライダーに、白い着物姿の女がそっと寄り添っていた。

 桜 さくら。
 血を吸い上げて、
 白い花びら、
 薄紅色に、
 染め上げていく。
 桜 さくら、
 咲き乱れ。

 桜 さくら、
 朽ちることない、
 木の根元から、
 屍たちを、
 甦らせる。
 桜 さくら、
 咲き乱れ。
 
 幾分ハスキーなメリーラムの声が、不意に歌を奏でる。
 聞く者がいたなら、その心に食い込むような声が、闇に融け込んでいく。

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