「桜の咲く頃に」を読む

「悩める子羊たち」 4月9日
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陽が傾きかけた頃、林道入り口の案内板前に、二人の女子高生の姿があった。
「いよいよオフ会へ出陣!」
「加恋、あなた浮かれてるね。これからどんな危険が待ち受けてるかもしれないのに」
「千佳、心配しないで。今日はあたしたちお忍びだから。そりゃあたしだってこの若さで死にたくないよ。今日は参加申し込みもしてないから、木陰にでも隠れて覗くだけだよ」
 二台の自転車は薄暗い森の中へと入っていく。
 気温が下がり始めていた。
 行き交う人もなく、野ざらしの石仏だけが点在する。欠けた顔、転がる頭は、二人の心に否応なく不安を掻き立てる。
 しばらく進むと分岐点に到達した。そこにあった矢印には従わず、この先どうなるんだろうかと不安を覚えつつも、サイトの裏ページに出ていた指示通り左折する。
 案の定、道が封鎖されていた。「国有林のため入ることを禁ずる」と書いてある。
「千佳、どうしよう? 入ってもいいのかなあ?」
 加恋は困ったような表情を浮かべている。
「今さら何言ってんのよ! しっかりしてよ! ここまで来て引き返す訳にもいかないでしょう」
 自転車を降りて、千佳は諭すような口調で言う。
 二人は侵入禁止のロープを跨ぎ、人が通ったような踏み跡を頼りに進むのみ。
 聞こえてくるのは、風が吹く度に枝が揺れてザワザワと葉が擦れ合う音と、自分たちがザクッザクッと踏みしめる落ち葉の音だけ。
 道に迷ったんじゃないかと不安が増しつつあった頃、森の中にぽっかりと空いた広場に出た。
「ねえ、千佳、こんな森にも桜並木があったなんてねえ。誰が整備したんだろう? あたし自殺志願者のオフ会だから、てっきりおどろおどろしい所だとばかり思ってた……でも、もう満開を過ぎて散り始めてるよ」
 絶え間なくはらはらと舞い落ちてくる、淡いピンク色の花びらが、地面に散らばっている。
「今日は沈んでいく夕陽に照らされて散っていく花の命を惜しむ、黄昏の花見でもやるのかしら? ねえ、加恋、来年はここへお弁当持ってきて、お花見やらない?」
 千佳はベンチに座って、花を見上げている。
「それっていいかもしれない……でも、千佳、ちょっと来て! この木って何か変!」
 淡いピンク色の絨毯の上を歩き始めた加恋の足が、突然止まった。
 駆け寄った千佳は我が目を疑った。
 花がまだ残っているのに、ちょうど背の高い人なら手を伸ばせば届きそうな所まで葉がなくなっている。ところが、地面に落ちているのは、花びらだけだ。
「これって、誰かが葉をちぎって持ち去ったのかなあ? でも、何のために?」
 千佳は不思議を通り越して不信そうに木を見上げている。 
「ねえ、見てごらんよ。掘り起こされた跡があるよ。この木の下にも埋まってるのかなあ?」
 根元を指して加恋が言う。
「加恋ったらまたそんなこと言ってる。もうやめてよ」
「いやあーっ!」
 千佳は振り返って周りを見回した、加恋の悲鳴に重なって、もう一人の悲鳴が聞こえたような気がしたから。
「千佳、これって、まさか血?」
 折れた枝の傷跡から染み出ている赤い液体が、加恋の腕に滴り落ちていた。
 目の前の加恋の顔からみるみる血の気が引いていく。 
 血も凍るような戦慄が千佳の背中を駆け抜けた。

 どこからか話し声が聞こえてきたのは、その時だった。間もなくそれが二人が来た道の方から近づいてくることがわかった。徐々に声が大きくなってくる。
 二人は顔を見合わせると、桜並木から道を挟んで反対側の藪の中に逃げ込んだ。
「加恋、あの女の声聞き覚えがあるよ。神園阿梨沙の姉だよ。想像していたよりイケてるけどね」
 すらっとしたスタイルの女が、男二人に伴われて姿を現した。
 女は、2段フリルのワンピース風トレンチコートを羽織っている。ラメタイツも、金バックルとベルト付きくしゅくしゅブーツも、コート同様黒だ。大人っぽい、フェミニンな雰囲気を漂わせている。
「今から何をするのかしら、集合時間までまだだいぶ時間があるのに? 本当は今出ていって、彼女に話し掛けたいけど……」
 加恋は声を潜める。
「しー! それは、危険過ぎるって。しばらくじっと様子を見守るしかないよ」
 千佳も聞こえるか聞こえないかの声で答える。
 二人の男たちは運んできた足台を無造作に地面に置く。女は黒のボストンバッグの中から縄とはさみを取り出している。女が縄を切ると、男たちは台に乗って、適当な枝に縄を結んで先端に輪を作っている。
 枝が揺れる度に花びらが雪のようにひらひらと舞い落ちる。
「千佳、あれって……」
 加恋の口から震える声が洩れた。
「わっか……やっぱり死ぬんだ」
 千佳は恐怖に怯える表情でうなづく。
「今日の参加者はあたしを除いて4人だったよねえ。念のため四つ用意しとくっか。あたしはまだだからね」
 心なしかハスキーな女の声が響いてきた。
「4人死ぬかもしれないってこと?」
 加恋がぽつりと洩らす。
 縄が四つ吊るされた頃、残りの参加者二名が到着した。
 二人の女子高生の緊張は否が応にも高まる。
「え、見てごらんよ。あの女って失踪中の立花麗香だよ」
 千佳が信じられないといった表情で目を見開いている。
「願ってもないチャンス。後で彼女に話し掛けよう」
 加恋がそう囁いたとき、オフ会が始まった。
「それじゃ、早速始めましょう。皆さ〜ん、集まって。あたしが『悩める子羊』の管理人のメリーラム。すぐそこまで夜の帳が下りてきてるので、急ぎましょう! オフ会の後、山を出る人がいるかもしれないし……」
「と言うことは、生きて帰る人もいるかもしれないってことだ」
 千佳の口から安堵の溜め息が洩れる。
「でも、あんまし長く続かないと、いいけどね」
 加恋の声が不安気に揺れる。
 黒く見えだした木立の間に、夕陽が沈みつつある。
 林道脇の藪に隠してきた自転車が気になる。
 もしなくなってたらどうしよう? 歩いて帰るには寒いし遠いのに、暗くなれば足元も見えなくなる。
「さて、今夜の参加者の一人目は、オフ会初参加のタツヒロ君。漫画アニメファンならわかるかもしれないけど、タツヒロ君はいわゆるひきこもり」
 メリーラムのゆるく開かれた右手の指す方向へ、一同の視線が移動する。
 黒のパーカーのフードの中からぼそぼそと声がする。
「……朝早く目が覚めるのが、いやなんだ。近所の住民の声が聞こえると、自分の陰口を叩かれているような気がしてね。平日の昼間に何もしないで起きてるとね、背筋が薄ら寒くなるような悪寒が襲ってくるんだ。もうこれ以上ひきこもりの苦しみには耐えられないから、今日で終わりにするよ、いつも怖くなって途中で逃げてたけど」
 年齢不詳っていう感じだが、どうやらまだ20代の若者らしい。
 メリーラムは慣れた様子で、てきぱきと他の参加者を紹介していく。
「こちらはハングマン二世君。サイト開設以来オフ会の企画・運営を手伝ってくれてた、ハングマン君が不慮の死を遂げて困ってたところに現れたのが、ハングマン二世君」
 痩せこけた長身の男が、呆然とした様子で突っ立っている。
 それまできょろきょろと落ち着きなく泳いでいた視線が、一点に定まった。
「人数分わっかを作ったと思ったけれど、一つ足りなくなったなあ」
 頬骨の上でぎょろぎょろと光っている目には、黒のトレンチコートを着込んだ中年男が映っていた。
 一同の視線が注がれる中、男は固い表情を崩さない。
「あのおやじ何者かしら? 完全に浮いてるっていうか、場違いだよね」
 加恋が不安そうな顔をして千佳の顔を覗くと、心なしか緊張した声が返ってきた。
「もしかしたら、オフ会主催者を逮捕するために来たんじゃないの? 自殺を手伝うのって犯罪だから。加恋、何があっても、あたしたちここに隠れてよう。やっかいな事に巻き込まれるのはごめんだよ」 
 男の存在など気にも掛けず、メリーラムは続ける。
「もう一人今日会場設営を手伝ってくれたのが、同じく初参加のハヤト君」
 金髪に近い茶髪の男が、試合開始直前に名前を呼ばれた格闘技選手のように、左手を高々と上げた。 
「俺のコテハンもある少年漫画から取った。アニメにもなってるけどね。俺、衝動的に暴力を振るわないと情緒不安定になるタイプだから……」
 それまで黙って会の進行を見守っていた中年男の目が、めがねの奥できらりと光った。
 次の瞬間、メリーラムが独り言のように話し出した。
「あたしも同じタイプ。ただあたしの場合、自分の暴力癖を社会のために役立たせる方法を見つけたんだけど……」
 やっぱり……。
  ハヤトの脳裏に、忘れようとしても忘れることができないシーンが、まざまざとフラッシュバックし始めた。

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