「桜の咲く頃に」を読む

「悩める子羊たち」 4月9日
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 誰もいない駅の公衆トイレで用を足し、個室から出てくると、女子高生の腕をつかんで入ってきたおやじと出くわした。
 口元に薄気味悪い笑みを浮かべてやがった。
 このくそおやじ今からこんなかわいい子をやろうとしてやがるのか! 
 すれ違うときに肩がぶつかった。
 てめえ、ぼこぼこにしてやろうか!
 振り向いて拳を振り上げた瞬間、背後からコツンコツンとハイヒールの靴音が聞こえてきた。
 まさか、入り口を間違えて女が男子トイレに入ってきやがったのか!
 振り返って確かめる必要もなかった。
 目の前で女がおやじに速攻を掛けていた。
 女の顔に目の焦点が合ったとき、深夜のコンビニ前でのシーンが脳裏を掠めた。
 あれは確か2週間程前のことだった。
 人の形をした黒い影の群れを女の背後に見たときの、背筋が凍りつくような恐怖が、全身を駆け抜けていった。
 はっと我に返ったとき、足元におやじの体が転がっていた。
 立ち去っていく女と目が合った瞬間、俺らは波長が合って共鳴した。
 ぎらぎらと光る女の目は憎しみに満ち溢れていた。
 女が出ていくと、俺は焦った。
 何もやってねえのに、俺がやったと思われちゃたまったもんじゃねえ。
 逃げ出すとき、公衆トイレ特有のアンモニア臭に混じって、くらくらするほど濃厚な薔薇の香りがしていた。

 メリーラムの脳裏にも同じ公衆トイレの場面が映し出されていた。
 この男を生かしておきたい。この男と一緒なら、いい仕事ができる。
 本気でそう思った。
 でも、もし今夜逝こうと決断したら、どうしよう? 止めることもできない。そんなこ とをしたら、このオフ会の趣旨に反してしまう。
 いつものようにトリを取るのは、チェリーフラワー。ピンクを基調とした、シンプルでおしゃれなチェック柄のトレンチコートをまとっている。三日月モチーフのネックレスが胸元にキラリと光る。
「お別れの時が来ました。それじゃ、みなさん杯を持ってください」
 各々の杯にペットボトルの水が注がれると、メリーラムの音頭で全員同時に静かに飲み干す。
「じゃあ、今夜逝く人は一歩前へどうぞ」
 メリーラムの一言で、時が止まったかのように空間が張りつめる。
 タツヒロとハヤトが無言で一歩一歩、ゆっくりと足を進める。
 やめて、ハヤト! まだ死ぬのは早すぎる。あたしと組んだら、あなたの命無駄にならないから、思い直して!
 メリーラムは心の中でひたすら祈った。
 だが、ハヤトは黒のベンチコートをさっさと脱ぎ捨て、ブラスナックルをはめていた。
「ちょっと、そこの小悪魔ギャルちゃん、そんな目で俺を見ないでくれ! 俺は俺らしく最後を飾りたいんだ」
 蒼白を通り越して真っ白になった顔から、突然言葉が発せられた。
 タツヒロはフードを左手で後ろに跳ね除ける。現れたのは、ぼさぼさの髪と伸びっぱなしの無精髭に覆われた、ハヤトに負けないくらい真っ白な顔だった。
「俺も同感。哀れみなんていらない」
 チェリーフラワーは慌てて目をそらす。
「さあ、皆さん一緒に! まずハングマン二世のお手本から」
 メリーラムの掛け声で体操が始まる。
 深呼吸を繰り返し、しばらくしゃがんでから急に立ち上がり、高速スクワットをする。
 女子高生二人は、信じられないといった表情で、成り行きを見守っている。
「こんな時に、一体何のために体操なんかやってるのかしら?」
「見てごらんよ、加恋。ふらふらしてるよ。まともに立っていられないみたいよ」
「そっかあ。ああいうことしておくと、きっと意識が飛びやすいんだよね」
 一同がじっと息を殺して見守る中、体操を終えたタツヒロとハヤトは、ぶらりと垂れ下がる縄の下へ歩み寄り、何のためらいもなく足台に乗り、誘い込まれるようにわっかに首を入れた。
 足台を蹴り倒すと、首がどんどん絞まっていく。予想通り、あっという間に意識が喪失した。
 二人の体が、ぶらり、ぶらりと揺れている、股間から生暖かい液体を垂らして。
「え、あんなに簡単に死んじゃうもんなんだ……死への恐怖なんてなかったのかなあ」
「そうかもね……」
 女子高生二人の顔からすっかり血の気が失せていた。
 桜の花びらのようにはかなく散っていった二人の恐怖が、残された二人の心の奥底に沈殿していき、漆黒の澱みを作り出していく。

 わざと視線をそらすように、メリーラムは終始うつむいたままだった。
「じゃ、ハングマン二世、後は頼んだわよ」
 帰り支度をしているメリーラムの背に、黒のトレンチコートの男が声を掛ける。
「神園さん、御無沙汰してます」
「加藤さんでしたっけ? 先週、久し振りにメールいただきましたね。『里緒奈』って呼んでくださいな、ここじゃ『メリーラム』ですけど」
「あ、そうでしたね。富山がお役に立っているようで何よりです。彼はこの間亡くなった前任者と同じ病棟に入っていた者ですが……」
「首を吊ってから絶命するまで10数分かかるので、しばらくあのままにしておかないと……その間に誰かに発見されて救助されないように、陰で見張っててもらうんですよ。今の状態で救助されでもしたら、一生重い後遺症を背負って生きていくことになりかねないので」
「なるほど。それでは、少々お時間をいただきたいと思います。メリーラムさんのお陰で国家繁栄推進計画も順調に進んでいます。自殺者数が12年間連続で3万人台。更に、未遂者は自殺死亡者の10倍はいると推定されています。言うまでもなく、これは国家に大きな経済損失をもたらしています。国はこれまで対策を怠ってきまたしたが……」
「でも、あたしたちが対応できる人数は、自殺者全体から見るとほんの一握りでしょ」
 それだけ言うと、メリーラムは背を向けて歩き出す。
 本当は「そんな話はもう聞きたくないよ」とでも言いたかった。
「メリーラムさん、何事も最初はこんなものですよ。実は、本日は大切なお知らせを持って参りました」
 そう言いながら、加藤は後ろから付いていく。
「いよいよ本計画が全国各地で展開されることになりました。立花麗香さんの御遺族にも御協力をお願いして桜餅の量産化も検討中です。メリーラムさんには、今後とも自殺スポット事業と駅公衆トイレ事業の両方で、御協力宜しくお願いいたします。すでに御存知のように、駅公衆トイレ事業のほうでは、立花麗香さんのお兄さんに連絡係りとしてお手伝いいただいています、メリーラムさんが本人に直接お会いになることはありませんが。では失礼いたします」
 加藤は礼をして、足早に去っていく。
 メリーラムはその背に声を掛ける。
「でも、全国展開になって、今までと比較にならない規模で行方不明者が増え続けたら、別の問題が起こってくるような……」
「ああ、そのことなら対策をすでに検討中です。ネットで行方不明者の捜索を支援しているサイトがありますが、今後サイト管理人と話し合いを持って、掲載基準を厳しくして誰彼なしに載せないよう行政指導的な形で誘導していくことになります」
「ああ、そうなんですか。それと、どうせ自殺を止められないのなら、自殺志願者を速やかに処理して周囲への被害を最小限に留めるっていう考えにはあたしも賛成です。でも、心配なのは、死体処理は大丈夫かなってこと。もし人の目に触れるようなことがあったら……」
「そのことも御心配なく。今日も、間もなく死体処理班が到着します」
「じゃ、もう一つだけ。この計画の当初から関わってる者として、気になってたんですけど、死体ってどのように処理されてるんですか? 何らかの用途に利用されてるんでしょうけど、あたしでも教えてもらえませんよね?」
 メリーラムはぺろりと舌を出した
「それは、国家最高機密です。我々の健康促進のために有効利用されているとだけお伝えするにとどめておきましょう」
 顔色一つ変えずにきっぱりと言い切ると、メリーラムを見据えた。
「それでは今度こそ失礼します」
 加藤は踵を返した。
 その時、メリーラムの脳裏には、滝壺の水中からおびただしい数の青白い手首が先を競って伸びている場面がフラッシュバックしていた。同時に、あの時の心臓が凍りつきそうな戦慄が甦り、全身を駆け抜けた。
 一瞬、男を呼び止めようかなと思ったけれど、すぐさまそんな考えを打ち消した。
 話したところでどうにもならない。ハングマンを連れていかれた以外は、今のところ何も起こっちゃいないけど、数え切れないほどの霊の集合体を相手に為す術なんかない。このままじゃ済まない予感がするけど、ここまで来たら後戻りもできないし、後は成り行きに任せるしかない。

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