「桜の咲く頃に」を読む

二人の女子高生たち 3月31日
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「千佳、やっぱあたしこうして桜の花に囲まれてると、気分は最高!」
 加恋の声が心なしか弾んでいる。
「でも、おとといより人が多いよね。満開に近づいてるからかなあ」
 千佳はうっとおしそうな顔で辺りを見回す。
「ところでさあ……あの裏ページのパスワードまだ見つけらんないよ」
 加恋は声を潜める。
「よかった……怪しいオフ会に行かれて命落とされたりしたら、あたしどうしていいかわからないよ。加恋にはまだ生きててもらいたいからね」
「ちょっと、千佳、この間言ったように、あたしは自殺する気なんてさらさらないの。ただの興味本位なんだから」
 加恋にしては珍しく、少し苛立ちを含んだ声だ。
「わかった。あたしの知ってること教えてあげるよ」
 その一言で加恋の表情が一変する。
「おそらく加恋は、裏ページへの入り口画面に出てる、それっぽい言葉を片っ端からローマ字変換してたんじゃないの?」 
「ピンポーン当たり! だってページのどっかにパスワードのヒントが隠してあるって書いてあるんだもん」
「だったらさ、言葉の一部を数字に変えてみれば? それとも、全部数字に直してみてもいいかもしれない」
 それを聞いた加恋の表情がぱあっと華やいだ。
「あ、そういう手もあったんだー。うちに帰ったら早速試してみよう! ところで、そっちはどうだった? イケイケカップルのことで何かわかったことある?」
「それがね、行方不明者捜しをサポートしてるサイトが簡単に見つかって、なんとあの二人の写真が出てて、本名までわかったんだけど……」
「え、それで?」
 加恋は身を乗り出して、話の続きを促す。
「……それがどうなってるのかさっぱりわからないのよ。彼は1ヶ月前に行方不明になってるんだけど、彼女の失踪時期は1年前になってるのよ。彼が失踪中の彼女に出会って、その後、離れ離れになったということも考えられるけど……」
「えー、それってどうなってんの? ますます謎が深まったって感じ。おもしろくなってきたじゃない。あたしも協力するから、真相の解明に向けて二人でがんばろう!」
 加恋は一人気勢を上げる。
「残念ながら、そうも行かないんだ。行方不明になったときの住所とか学校名とか、そういった情報もないし、行方不明者の家族に直接コンタクト取ることもできないんだから……」
「え、そんなー」
 加恋は一気に拍子抜けする。とはいっても、相手の一瞬の隙も逃さない。
「そっちが行き詰ってるんだったらさ、あたしと一緒にやんない? もしあたしがあのサイトの裏ページに辿り着けたら、オフ会に付き合ってくんない? 春休みっていったって、どうせ特に予定もなくて、時間持て余してるんでしょう?」
「考えとく。加恋って、まったく抜け目ないっていうか……」
 一瞬間を置いてから、千佳はぽつりと言う。
「……でも、あのカップルの行方捜し、まだ諦めたわけじゃないんだ」
「え、まだあてがあるの?」
「ちょっと拾ったケータイ貸して」
 千佳は着信履歴を見ている。
「たった一件の受信メールに賭けてみるしかない。だめで元々、電話してみようよ。他に手掛かりもないことだし、これで何も進展がなかったら、もう止めよう。ケータイは駅前交番に届けよう」
 思い詰めたような表情で加恋を見つめている。
「でも、名前もわからない相手に掛けるなんてちょっと緊張しない? メール内容もやばそうだし」
 加恋が心配そうな顔で見守る中、電話番号を打ち込む千佳の指が心なしか震えている。
 4回目の呼び出し音が鳴ったところで、やさしそうな女の声が聞こえてきた。
「あの〜、ちょっとお聞きしますが、古宮翔太さんのこと知ってますよねえ?」
「え、今わたしが住んでる部屋の前の住人ですけど……」
「実は、あたしおととい古宮さんのケータイ拾ったんですよ。それで、今そのケータイから掛けてるんだけど、このケータイにメール送ったことありますよねえ?」
「いいえ、ありません。だって会ったこともないんですよ」
 千佳の一瞬見せた驚きの表情を、加恋は見逃さなかった。
「え、でも、このケータイの受信メール履歴に残ってますけど……」
「ええー、そんなあー」
 見知らぬ女の子の声を聞きながら、阿梨沙は夢を見ているような気がしてきた。
「あの〜、聞いてますかあ?」
「あ、ごめんなさい」
 ふと我に返る。
「古宮さん行方不明だって知ってますよねえ。それで、あたしと友だちの二人で捜してみようかなって話になって」
「……実は、わたしも古宮さんの行方に興味持ってるんで、こういう話はケータイじゃゆっくりできないから、一度会わない?」
「ぜんぜんそういうタイプの人じゃなかったよ。ちょっと緊張してたから、拍子抜けしちゃった。4月4日の昼に会って話することになった」
 千佳はけらけら笑いながら報告している。

 不思議な気持ちで携帯を畳むと、阿梨沙はエレベーターで降りていった。
 管理人室をそっと覗く。
「あの〜、またちょっとお聞きしたいことがあるんですけど……」
「あ、神園さんの妹さん、今日はどういった事で?」
「昨日あたしの部屋の前の住人の古宮さんについてお聞きしましたけど……」
 そう言いながら、おやじの舐めるような視線に耐え切れず、思わず身を引く。
「あれ、昨日だったかなあ? 確かおとといだったと思うけど」
 そ、そんな……また記憶が飛んでる。
 阿梨沙は動揺を隠そうと努める。
「……古宮さんって失踪前は学生だったんですか?」
「そう、そう、聖霊大学の学生さん。でも、親御さんが今年度の授業料払ったかどうか……未納で除籍になってるかもしれないねえ」
 そう言って遠くを見る目をした。

 マンションの前まで来ると、加恋は自分の部屋を見上げた。
 気にしないようにしても、薄汚れた外壁に目が行ってしまう。
 せっかく引っ越すんだったら、もう少し新しいマンションにすればよかったのに……。
 父親の安月給に見合った家賃じゃこんなところにしか住めないことがわかっていても、ついそんなことを考えてしまう。
 それがいやで、薄暗い共用階段を一気に駆け上がる。
「ちょっと待ってよ」
 千佳の声が響く。
「ただいまー」
「お邪魔しまーす」
 玄関で挨拶しても、返事がない。
「あれ、お母さんどうしたのかしら? いつもこの時間ならもううちに帰ってるのに」
 不信に思いつつも台所を横切って自室へ向かう加恋を、千佳が引き止める。
「加恋、ちょっと見てごらんよ。そこのテーブルの上にメモがあるよ」
 加恋は手に取ったメモを読み始める。
「『お父さんが怪我をして病院に運ばれたそうだからとりあえず行ってきます』だって。病院の名前と電話番号も書いてあるよ」
 他人事のような口振りだ。
「加恋も病院へ行かなくてもいいの?」
 3日前の父親の姿が一瞬加恋の脳裏を掠める。
 引越しの翌日の日曜日の午後、片付けも一段落したので、母親とスーパーへ買出しに出かけた。予定より早く帰ってくると、父親は気まずそうに娘の部屋から出ていった。
 ベランダの戸が閉めてあるのに、部屋の中に干してある下着がゆらゆら揺れていた。
「でも、加恋のお母さんなんで加恋ののケータイに電話してこなかったのかしら?」
 千佳の声に加恋ははっと我に返る。
「……そうだね。気が動転してたのかな? あたしお母さんのケータイに掛けてみる」
「加恋、病院内ってケータイ使用禁止じゃなかった?」
「一昔前はそうだったけど、今はそうでもないらしいよ……ほら、繋がった」
 千佳が心配そうに見守る中、加恋は母親と話し出した。
「膝の裏側の靭帯損傷だって。でも、精密検査で頭に異状が見つからなかったから、もうすぐ帰ってくるんだって」
 加恋はあっけらかんと言ってのける。
「千佳、ごめん。せっかくうちまで来てくれたのに、裏ページのパスワード捜し手伝ってもらえるどころか、これじゃお昼も一緒にできないよね」
「あたしに気を使わなくていいよ。また駅前のハンバーガー屋に行こうよ。安いし、あそこのポテトおいしいから」
 そう言うと千佳は加恋の返事も待たずにドアに向かって歩き出した。

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