西口彰



西口彰(にしぐちあきら 1925年12月14日生)
 [連続殺人犯]


 大阪出身。カトリックの家庭に生まれる。中学を2年で中退したのち家出。窃盗、恐喝などで4回刑務所に入る。

 1963年10月18日、福岡県京都郡苅田町堤の国鉄日豊本線苅田駅西側の山道で専売公社職員(58歳)を殺害し、タバコの集金代約27万円を強奪。同日、田川郡香春町の仲哀峠でトラック運転手(38歳)を同様に殺害した。目撃者の証言などから詐欺や窃盗で前科4犯だった西口(当時37歳)が浮上。福岡県警は全国指名手配にする。西口は佐賀で自分が指名手配されているのを知る。10月24日、瀬戸内海の連絡船で靴をおいて書置きを残して投身自殺を偽装するが、警察が瀬戸内海を捜索した結果、死体は発見されず自殺は偽装と判断。西口は神戸、大阪、京都、名古屋と逃亡する。

 11月18日、静岡県浜松市で旅館の経営者親子を殺害して衣類や金品を入手。12月、福島県の弁護士宅から弁護士バッチや弁護士名簿などを窃取して弁護士になりすますようになる。その後も、千葉、北海道、東京、栃木で金を詐取。同年12月29日、東京都豊島区の弁護士(81歳)を殺害し、遺体をタンスの中に押し込む。

 1964年1月2日、西口は弁護士を装い熊本県玉名市の冤罪事件防止に取り組む教戒師・古川泰龍宅を訪問。西口は冤罪救済活動の支援をするなどと偽り、古川と死刑論などについて熱く語っていた。しかし、古川の11歳の娘が、指名手配のポスターから西口と見破る(西口と一字違いの同級生がいたので、小学校の登下校に通る駐在所の掲示板を思い出したという)。父親の古川は最初は否定していたが、身長やホクロの特徴が殺人犯と見事に一致していたことと、西口が語った弁護士団体の名前や自身が卒業したとする東大の著名な法学部教授を知らないなど、次第に弁護士としての基礎知識に欠けてることに気づいたため警察に通報した。しかし、警察の初動が鈍かったため、家族は警察が来るまで平静を装いながら翌朝まで自宅で西口と過ごすことになった。そして翌1月3日に西口は逮捕される。

 警察の要職を歴任した高松敬治は「もし、この少女の機転が無かったら、この教戒師一家も殺害されていた可能性があった。全国の警察は、西口逮捕のために懸命な捜査を続けたが、結果的には全国12万人余の警察官の目は幼い一人の少女の目に及ばなかった」と語った。

 西口は殺人5件、詐欺10件、窃盗2件で起訴された。裁判では検察の論告で「史上最高の黒い金メダルチャンピオン」、地裁の判決文では「悪魔の申し子」と形容された。

 1966年8月15日に死刑判決が確定。獄中での西口は「罪は海よりも深し」という大学ノート8冊分の手記を記している。その手記の最後にはこう記されていた。「私が刑場に引かれる姿を想像して笑ってください。当然の制裁でありましょう。長いことお騒がせいたし恐縮です。失礼いたしました。」

 1970年12月11日、福岡拘置所で死刑が執行された。

 1970年12月11日死去(享年44)





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