マルセル・プショー



マルセル・プショー(Marcel Petiot 1897年1月17日生)
 [フランス・連続殺人者]


 パリ郊外のオグジエール生まれ。幼少期に両親を亡くし、以後は親類をたらい回しにされて育った。賢い子供だったが、飼い猫に熱湯をかけたり、鳥の眼を針で潰すなどの動物虐待をしており、学校での素行も悪く、2回も退学処分になっている。1914年に精神科医より、精神病との診断を受けており、1916年には窃盗罪で逮捕されている。パリ大学を卒業し、医師免許を取得したプショーは、ヴィルヌーブで開業医を始め、1926年にはヴィルヌーブの町長に当選した。その直後、彼の愛人のレイセット・トラボーが失踪していて、彼の犯行が疑われた。1930年、公金横領で失職した後、パリに引っ越して医院を開業した。

 第二次世界大戦のナチスドイツのフランス占領後、迫害を恐れたユダヤ人が脱出するのを、プショーが手数料25000フランを受け取り手助けするふりして、ガスで殺害して死体を焼却し、衣服や貴重品を奪う犯行を繰り返す。その犠牲者は、一説には100人以上、プショー本人は、63人としている。プショーのパリの館には、完全防音の気密ガス室や地下室に死体を焼く為の高温の焼却炉などがあり、ガス室には覗き窓がついていて、彼は犠牲者が悶え苦しみ死んでいく様を楽しんで見ていたという。

 1944年3月11日、プショーの館から悪臭がするという住人からの通報より、警察官が来て死体を発見する。その時プショーは、「レジスタンスが処刑した死体焼却の手助け」と弁明し、その後姿をくらました。まだ焼却処理が完了していない死体および、殺害された人たちの1691着もの衣類や大量のスーツケースなど、館での連続殺人の惨状を確認した警察は、プショーを指名手配した。

 1944年10月31日に逮捕されたプショーは、殺害行為については認めたものの、殺されたとされる者は、ナチスの手先であるとして、「正当化」した。裁判の早期化のため、29人の殺害行為について、刑事裁判が行われた。1946年4月4日、公判が開始される。ある時は、プショーは雄弁に犯行を語り、その一方では、居眠りをしていた。

 1946年5月18日、死刑判決が下る。一週間後の5月25日、サンテ刑務所でギロチンによる処刑が行われた。ギロチン台に上ったプショーはトイレの申し出を断られており、最期の言葉は「まあいい。船出するときは荷物はすべて持っていかんとな」であった。

 1946年5月25日死去(享年49)


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