ジョン・ギルバート・グレアム



ジョン・ギルバート・グレアム(John Gilbert Graham 1932年1月23日生)
 [アメリカ・ユナイテッド航空629便爆破事件犯人]


 1955年11月1日、アメリカ大陸を横断するニューヨーク発シアトル行きのユナイテッド航空629便(ダグラスDC-6旅客機)は、経由地であるコロラド州デンヴァーからオレゴン州ポートランドに向けて離陸した。離陸しておよそ10分後の現地時間の午後7時ごろ、高度5000フィート(1500m)を離陸上昇中に突如空中爆発し、機体は広範囲(ウェルド郡内6マイル四方)に散乱した。爆発の瞬間は空港の航空管制官が目撃していた。この爆発により乗員乗客44名全員が死亡した。爆発によって機体後部が粉々になり、残された前部と両翼も落下までに飛散し、原形を留めていたのは機体主要部から離れた場所に落下した尾翼付近のみであった。爆発箇所は胴体後部の第4貨物室で、燃料タンクの位置からは外れており、また機体の残骸からは航空燃料以外の成分が爆発した痕跡や乾電池の破片などが発見された。そのため故意による爆破の疑いが濃厚になった。

 乗客の身辺を捜査した結果、FBIは母親が搭乗していたデンヴァー在住の23歳のドライブイン経営のジョン・ギルバート・グレアムを逮捕した。母親に大きな紙袋を手渡す所を目撃されていたためである。当初は母親にプレゼントした手芸用品だと主張したが、デンヴァー市内で事故前に販売した事実がないことを突きつけると、一転して自白した。

 母親のデイジー・キング夫人は息子ジョンが3歳の時に夫に先立たれ、再婚するまでの10年間、彼を孤児院に預けていた。不動産投資で成功していた母親は、ジョンを甘やかして育て、彼が19歳の時にドライブインを買い与えた。しかし、ジョンにドライブイン経営など出来る筈がなく、経営に行き詰まった彼は保険金目的で店に放火を試みたが失敗したため、今度は母親の殺害を計画した。目的は母親にかけた総額37500ドルの生命保険(空港内の保険自動販売機で購入。1枚25セントの保険証書6枚。彼女の署名がないため効力がなかった。なお同州では事件を契機に販売禁止になった)と彼女の財産であった。

 ジョンは2週間電気店でアルバイトして、装置の制作に必要な電気技術を習得し、母親のスーツケースにダイナマイト25本と時限発火装置を仕込んだ。航空機爆破と言う手段を選んだのは、事故を装い犯行の露見を避けるためであったが、結局科学捜査により全容が解明されることとなった。

 コロラド州の裁判所は、母親に対する殺人罪のみでジョンに有罪を宣告した。その後、ジョンは自殺を図ったが未遂に終わっている。ジョンは最後まで反省することなく、1957年1月11日、ガス室による死刑が執行された。

 1957年1月11日死去(享年24)





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