ロドニー・カルバー



ロドニー・カルバー(Rodney Culver 1969年12月23日生)
 [アメリカ・アメリカンフットボール選手]


 ミシガン州デトロイト出身。地元デトロイトの高校から奨学金を得てノートルダム大学に進学した。1988年には控えRBであったがチームは全米チャンピオンとなった。1990年、1991年の2年間テイルバックとして先発出場した。彼の在学当時チームにはリッキー・ウォータース、レジー・ブルックスといったNFL入りしてから活躍したRBの存在があったが1990年に彼は11試合に出場してチームトップの710ヤードを獲得した。1991年には怪我をおしてフロリダ大学との試合で活躍、39-28での勝利に貢献した。

 1992年のNFLドラフト4巡目でインディアナポリス・コルツに指名されて入団した。彼は主にショートヤーデージでのランニングバックとして起用されて121回のキャリーで321ヤード、7タッチダウンをあげた。また26回のパスキャッチで210ヤードを獲得、2タッチダウンをあげている。コルツはこの年9勝7敗でプレーオフを後一歩のところで逃した。1993年のシーズン終了と共にウェーバー公示された彼はサンディエゴ・チャージャーズに移籍。チャージャーズではネイトロン・ミーンズ、エリック・ビエネミー、ロニー・ハーモンに次いだ第4のRBとなった。彼は8回のボールキャリーに留まったが1回あたり7ヤードを稼いだ。ディビジョナルプレーオフでは6回のキャリーで14ヤード獲得と振るわなかったがチームは22-21でマイアミ・ドルフィンズを破り、出番無しに終わったAFCチャンピオンシップゲームでチームはピッツバーグ・スティーラーズを17-13で破り第29回スーパーボウル出場を果たした。スーパーボウルで彼はボールに触ることなくチームは26-49で敗れた。

 1995年はプレイ機会が増し、47回のキャリーで155ヤードを獲得、3タッチダウンをあげると共に5回のパスキャッチで21ヤードを稼いだ。チャージャーズはプレーオフ出場を果たしたがコルツに20-35で敗れた。

 1996年5月11日、彼がマイアミからアトランタに移動するために搭乗したバリュージェット航空の飛行機がエバーグレーズに墜落(バリュージェット航空592便墜落事故)して、妻と共に死去した。

 1996年5月11日、バリュージェット航空592便はマイアミ国際空港からアトランタに向けて東部夏時間14時4分に離陸した。離陸してから3分後に、592便の機長から空港にキャビンに煙が立ち込めたので戻りたいとの無線があり、マイアミへ戻るための航空管制官からの指示が与えられた。しかし、その直前のボイスレコーダーには客室乗務員の「煙が、煙が立ち昇っている」と知らせる声が入っていた。 通常、客室乗務員と操縦乗員とのやり取りは操縦室のドアを開けないためにインターフォンで行われるが、事故機となった機体のそれは故障していながら修理を持ち越して運航していた。そのため、客室乗務員は操縦室のドアを開けて異常事態を報告したが、それが原因でコックピットにも煙が侵入し充満してしまったと推測される。この経験が少ない客室乗務員の行為は「有毒ガスが客室に充満している可能性がある場合、決して操縦室の扉を開けてはならない」というマニュアルに違反していた。592便はマイアミへ戻るコースを取ったが、火災がますます強くなり機内を焼き尽くそうとしていた。そのうえ運航乗務員のいずれかが意識を喪失し、操縦桿に突っ伏す形で倒れたため、14時14分に高度10000フィートから地上まで一気に墜落した。乗員乗客110名全員が犠牲になった。犠牲者の中にはロドニーの他にシンガーソングライターのウォルター・ハイアットが含まれていた。

 事故機のDC-9は墜落の衝撃で粉々になっているうえに、墜落現場がエバーグレーズ(沼地湿地地帯)であり、残骸が泥中に沈んでいた。そのうえ、一帯はワニの生息地で有毒なジェット燃料が漂う中での犠牲者と残骸の収容活動は困難を極めアメリカ海軍の支援も得た。

 NTSB(国家運輸安全委員会)の調査によれば、592便の火災発生源は貨物室であることが判明した。この火災を発生させたのは、バリュージェットのほかの旅客機から下ろされた酸素ボンベ(酸素発生装置)144本が機内で作動し化学反応で高温を発生させたためであった。この装置は航空貨物としては危険物であり、空輸するにはFAA(連邦航空局)から輸送免許を受領する必要があったが、バリュージェットは無免許であり違法な行為であった。そのうえ、酸素発生装置を輸送するためには、誤作動を防ぐため作動用の引き金にプラスチックカバー(その価格は1個1セントにも満たないものであった)をつけなければならないが、これをつけていないものが多かった。そのうえ、書類上は空のボンベとなっていたが、実際には充填されたものが残っていた。また離陸後11分で墜落するのは早すぎるため、離陸滑走中には貨物室で発火していたとみられており、しかも当時、火災発生警報の設置が義務化されていなかったため操縦乗員が事態を把握することができなかった。結局、592便の貨物室の火災が致命傷となった。

 ちなみに、サンディエゴ・チャージャーズが球団史上唯一のスーパーボウル出場を果たした1994年シーズン当時のメンバーには不幸が相次いでおり、この世を去ったのは1995年6月19日のデビッド・グリッブス(交通事故・28歳没)、1996年5月11日のロドニー・カルバー(飛行機事故・26歳没)、1998年7月23日のダグ・ミラー(落雷直撃・28歳没)、2008年5月11日のカーティス・ホワイトニー(薬物の過剰摂取・39歳没)、2008年10月15日のクリス・ミムズ(拡張型心筋症・38歳没)、2011年2月26日のショーン・リー(心不全・44歳没)、2011年12月8日のルー・ブルース(心臓発作・42歳没)、2012年5月2日のジュニア・セアウ(拳銃自殺・43歳没)がおり、すでに8人となっている。

 1996年5月11日死去(享年26)


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