ロルフ・シュトメレン



ロルフ・ヨハン・シュトメレン(Rolf Johann Stommelen 1943年7月11日生)
 [ドイツ・レーシングドライバー]


 ドイツ・ジーゲン出身。1964年からレース活動を開始。1967年のタルガ・フローリオでポール・ホーキンスと組んでポルシェ910/8で優勝。翌1968年はデイトナ24時間レースで優勝、ル・マン24時間レースでポール・ポジションを獲得する。なお、F1本格参戦となる1970年の前年には、ロータスのF2マシンでドイツGPに出走している(この年のドイツGPはエントリー数が少なかったため、F2マシンとの混走で行われた)。

 1970年、ドイツの雑誌『Auto Motor und Sport』の支援を受けてブラバムからF1フル参戦。オーストリアGPで3位になるなど10ポイントを獲得して選手権11位になる。翌1971年はサーティースへ移籍。ノンタイトルレースのアルゼンチンGPでポールポジションを記録するが、選手権では5位と6位が1回ずつと低速。1972年にエイフェランド・キャラバンズからルイジ・コラーニデザインのエイフェランド・E21で出走するも、無得点に終わる。その後、1973年・1974年はそれぞれブラバム、グラハム・ヒル率いるローラから後半戦のみの出走に留まる。

 1975年は前年に引き続き、ローラ、ヒルから参戦。モンジュイック・サーキットで行われたスペインGPで、首位走行中に突然操縦していたヒルGH1のリヤウイングがウイングステーの破損により脱落。コントロールを失って観客席に飛び込み観客4人が死亡、シュトメレン自身も重傷を負う。

 1978年に癌で入院したグンナー・ニルソンの代役として南アフリカGPより新チームのアロウズに加入。しかし、リカルド・パトレーゼの後塵を拝することが多くなりこの年を最後にF1から身を引く。

 一方、スポーツカーレースでも活動しており、1970年から1974年までアルファ・ロメオから世界メーカー選手権に参戦する。1976年以降はポルシェのスポーツカーで活躍。1977年のドイツツーリングカー選手権チャンピオン。1978・1980・1982年のデイトナ24時間で優勝した。1979年のル・マンではポール・ニューマンと組んで2位を獲得する。

 1983年4月24日、カリフォルニア州リバーサイドで行われたIMSA・キャメルGTレースで、走行中にモンジュイックの惨劇を再現するかのようにポルシェ935のリアウイングがリアカウルごと脱落。コントロールを失ったマシンは、バリアに激突した衝撃で横転しドライバーが搭乗する右側面を大破。間もなく出火し、シュトメレンは救急隊により救出されたが、搬送先の病院で死亡した。

 F1レース界では希少な眼鏡着用ドライバーでもあった。

 1983年4月24日死去(享年39)


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