レフ・カチンスキ



レフ・カチンスキ(Lech Kaczynski 1949年6月18日生)
 [ポーランド・大統領]


 ワルシャワ出身。双子の兄のヤロスワフより45分若い。父のライムンドはエンジニアで、1944年のワルシャワ蜂起の際は地下組織軍として戦う。母ヤドヴィガは言語学者。妻マリアとはグダンスク時代に知り合い、1女をもうけた。

 ワルシャワ大学とグダンスク大学の法学部を卒業。共産主義の時代は有名な連帯発足以前から法律家・弁護士の立場で労働者に労働者の権利を説く。アンジェイ・グヴィヤズダなどと共に連帯の発足に大きく関与する。そして共産主義崩壊とともに政治の表舞台へと出る。ワルシャワ市長に就任後その政治手腕にワルシャワ市民から圧倒的な人気を勝ち取りその後大統領選へ出馬、当選しポーランド共和国大統領となる。

 2010年4月、カティンの森事件追悼70周年記念式典に出席するため搭乗していたポーランド空軍第36特殊輸送航空連隊所属の大統領特別輸送機Tu-154M101号機が、スモレンスク市の北4kmにあるスモレンスク北飛行場へ着陸進入中、同飛行場から1.5km離れたスモレンスク州スモレンスク地区のペチョルスク村に墜落した。

 事故発生時は霧が濃く、視界は500mとなり滑走路は閉鎖されていた。スモレンスク北飛行場は計器着陸装置(ILS)もなかった。そのため、ロシア当局は専用機にモスクワかミンスクへ着陸地を変更するよう求めたが聞き入れられなかった(2008年の南オセチア紛争時、トビリシの空港に着陸を主張するカチンスキは、拒絶する専用機のパイロットを解雇すると脅したことがあったとされる )。また、専用機が飛行場から1.5km地点で急激に高度を下げたため、管制官が水平飛行に戻すよう数回にわたって指示したが従わなかったという。4度目の着陸復行を行おうとしたところ、低空飛行であったことと、機体の傾斜角が40°ないし45°まで傾いていたために主翼が木に接触。林をなぎ倒しながらバラバラになり、地面に激突・炎上した。墜落は接触地点から400m先であった。

 同機には大統領夫妻の他に、大統領府長官、国務長官、上下院副議長、ポーランド国立銀行総裁、ポーランド軍参謀総長及び陸軍・海軍・空軍の三軍の総司令官など政府や軍の要人を中心とする公式訪問団89名と乗員7名(運行乗務員4名、客室乗務員3名)の計96名が搭乗していたが、この事故で全員が死亡した。

 その後、不慮の事故死を遂げたカチンスキ大統領をどこに埋葬するかで意見が割れた。政権側は大統領をクラクフのヴァヴェル大聖堂へ埋葬することで進めたが、ここは歴代ポーランド国王や歴史的英雄が眠る場所で、故カチンスキ大統領がこの場に埋葬されるにふさわしい人物か、という論争であった。しかし結局、ヴァヴェル大聖堂に夫人と共に葬られることになり、2010年4月18日にクラクフで国葬が行われた後、ヴァヴェル大聖堂の地下に夫婦揃って埋葬された。

 2010年4月10日死去(享年60)


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