会田吉男



会田吉男(あいだよしお 1910年生)
 [撮影技師]


 1910年、会田藤之助・ナミ夫妻の次男として、神奈川県に生まれる。姉の光代(次女)は日活大将軍撮影所での女優を経て、映画監督の熊谷久虎の妻になり、姉の喜代子(三女)は銀行員と結婚して生まれた子がのちに映画監督の木下亮となり、妹の律子(四女)は映画監督の番匠義彰の妻となったがのちに離婚、末妹の昌江(五女)は、のちに女優・原節子となる。

 1941年、母ナミ、死去。1947年、東宝が製作した映画『春の饗宴』の撮影技師として、瀬川順一と共同でクレジットされ、1949年、義兄の熊谷久虎が代表を務める製作会社芸研プロダクションの設立第1作『殿様ホテル』で、劇場用長篇劇映画の撮影技師として一本立ちする。

 1953年7月10日19時ころ、義兄の熊谷久虎が監督、実妹の原節子が主演する映画『白魚』の撮影技師として、静岡県駿東郡御殿場町の御殿場駅構内でのロケーション撮影におけるセッティング中、撮影助手とともに列車に轢かれ、同町内の北駿病院に運ばれたが、翌11日13時15分に死去した。

 上原謙と原節子が、ホームで汽車を降りるシーンを撮るために、線路に降りてホームに向かってくる列車を真正面から撮影していたが、列車が予定位置で停車せず、轢かれてしまったという。事故原因は、スタッフの連絡ミスと運転手の連絡ミスが重なったためとされている。

 1953年7月11日死去(享年43)


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