藤井一



藤井一(ふじいはじめ 1916年生)
 [陸軍飛行学校教官]


 茨城県の農家に生まれる。7人兄弟の長男であったため、親は農家を継がせたかったが、反対を押しきって陸軍に志願し歩兵となった。優秀であった藤井は転科して陸軍航空士官学校に入校。卒業後は、熊谷陸軍飛行学校に赴任し、中隊長として少年飛行兵に精神訓育を行っていた。

 藤井がパイロットを志願しなかったのは歩兵科機関銃隊だった頃、支那戦線で迫撃砲の破片を左手に負い、操縦桿が握れなくなったからである。藤井は特攻作戦が実施される前から「事あらば敵陣に、あるいは敵艦に自爆せよ、中隊長もかならず行く」と繰り返し言っていた。その後、特攻作戦が開始され、自分の教え子たちが特攻出撃していく中、責任感が強く熱血漢であった藤井は自分だけが安全な任務をしていることに堪えられず、教え子たちとの約束を果たすべく自らも特攻に志願した。しかし、妻と幼子2人をかかえ、学校でも重要な職務を担当しており、パイロットでもなかった藤井には、当然、志願が受け入れられるはずもなかった。しかし、藤井は生徒達との約束を守るため、特攻に志願し続けた。

 藤井の妻・福子は夫を必死に説得したが、藤井の決意は最後まで変わらなかった。夫の決意を知った福子は、1944年12月14日、長女・一子(3歳)と次女・千恵子(1歳)を連れて飛行学校の近くにある荒川に入水自殺した。翌日、手をひもで結んだ3人の遺体が発見された。その遺書には「私たちがいたのでは後顧の憂いになり、思う存分の活躍ができないでしょうから、一足お先に逝って待っています」と書かれていた。

 藤井は葬式が終わった夜、死んだ娘に手紙を書いている。「冷え十二月の風の吹き飛ぶ日 荒川の河原の露と消し命。母とともに殉国の血に燃ゆる父の意志に添って、一足先に父に殉じた哀れにも悲しい、然も笑っている如く喜んで、母とともに消え去った命がいとほしい。父も近くお前たちの後を追って行けることだろう。嫌がらずに今度は父の暖かい懐で、だっこしてねんねしようね。それまで泣かずに待っていてください。千恵子ちゃんが泣いたら、よくお守りしなさい。ではしばらく左様なら。父ちゃんは戦地で立派な手柄を立ててお土産にして参ります。では、一子ちゃんも、千恵子ちゃんも、それまで待ってて頂戴。」

 藤井はこの事件の直後、自らの小指を切り、血書嘆願を行った。今度ばかりは軍も諸般の事情から特攻志願を受理した。藤井は陸軍特別攻撃隊第四十五振武隊快心隊の隊長として、1945年5月28日、隊員10名と共に沖縄に向けて出撃した。藤井は小川彰少尉の操縦する機に通信員として搭乗。「われ突入する」の電信を最後に、還らぬ人となった。

 1945年5月28日死去(享年29)


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