中河美芳



中河美芳(なかがわみよし 1920年2月22日生)
 [プロ野球選手]


 鳥取県出身。旧制鳥取第一中学校で夏の甲子園に2回出場。1937年に旧制関西大学へ進学するが、同年8月に中退してイーグルスに入団。4番打者として一塁手と投手を兼任し、1938年秋のシーズンには防御率1.98でリーグ3位、1939年には打率.282でリーグ8位を記録するなど、層の薄いチームにあって投打の中心として活躍。内野手から送球を受ける際、地面に着くほど両足を前後に大きく広げ、どんな球にも吸い付くように捕球する完璧な一塁の守備は「タコ足」「タコの中河」と呼ばれ、それを見るために球場に足を運ぶファンが多かったと言われている。内野手がゴロを捕るとスタンドから「悪送球しろ!」というヤジが飛び、正しく送球されるとブーイングが起こったほどである。球が収まりやすいように、ミットの親指と人差し指の間を網状に加工しており、その流れは現在のファーストミットに受け継がれている。

 投手としては1941年6月22日の対名古屋戦で石原繁三との継投ノーヒットノーランを記録したこともあるが、この年のシーズンを最後に応召。1944年7月にフィリピンのルソン島沖で乗船した輸送船が米軍の攻撃を受け戦死した。1986年に野球殿堂入り。東京ドーム敷地内にある鎮魂の碑に、彼の名前が刻まれている。

 1944年7月12日死去(享年24)





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