三輪八郎



三輪八郎(みわはちろう 1921年11月13日生)
 [プロ野球選手]


 群馬県生まれ。高崎中学校(現・群馬県立高崎高等学校)では、甲子園への出場経験は無し。桐生中学の野球部監督・稲川東一郎の推薦により、稲川の義弟でタイガース職員だった早川二郎を仲介して大阪タイガースに入団。1年目の1939年から主に先発として起用される。防御率2.14を記録したものの2勝5敗に終わる。

 1940年8月3日、紀元二千六百年記念行事の一環で行われたプロ野球初の満州遠征中、大連にあった大連満倶球場で行われた巨人との一戦で、タイガースの投手としては初めてノーヒットノーランを達成した。当日のゲームは小雨の降る中行われ、4四球3失策の計7人の走者を出しながら被安打0、失点0に抑え、ノーヒットノーランを達成した。日本列島にない球場、かつ日本プロ野球公式戦において、ノーヒットノーランを達成したのは、三輪八郎と、この19日後に同球場で達成した石田光彦(阪急軍)の2人のみである。左腕から繰り出される力のある速球と、大きなドロップを武器に、同1940年シーズンは最終的に16勝5敗、防御率1.51、リーグ最高勝率.762を記録した。

 1941年と1942年は幾分調子を落としたが、1943年には開幕投手に指名され、東西対抗出場も果たした。同年は11勝を挙げた(11敗)。しかし、戦局の悪化に伴い召集され退団。1944年、中国で戦死した。東京ドーム敷地内にある鎮魂の碑に、彼の名前が刻まれている。

 1944年8月17日死去(享年22)





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