岩淵熊次郎



岩淵熊次郎(いわぶちくまじろう 1892年生)
 [鬼熊事件犯人]


 岩淵熊次郎は千葉県香取郡久賀村で荷馬車引きとして生計を立て、妻と5人の子供と暮らしていた。岩淵は仲間に酒などを奢ったり、高齢者や非力な村人の仕事を手伝ったりなどしていたため、村人の間では信頼されていた。一方で女癖が悪い事でも有名であり、以前から女性関係でトラブルになっていた。岩淵が小間物屋の女性・けいと知り合った際も周囲の反対を聞かずに親しくし、けいに好意を持っていた別な男に諦めさせようとしていたが、岩淵の知人の菅松がその男を情夫として仲を進展させようと、岩淵を恐喝罪や過去の女性トラブルなどによる被害届けを出し、警察に告訴した。

 その後、執行猶予付きの判決が下り釈放された岩淵は、1926年9月30日にけいに会いに行った際、けいが他の情夫と交際していた事を知ったことで激怒し、薪でけいの頭を殴り殺害した。その後、けいと情夫の仲を取り持っていた知人の菅松の家を放火、けいと交際していた情夫とけいの働いていた小間物屋の店主も殺害し、駆けつけた警官に重傷を負わせ山中に逃亡した。

 岩淵は「鬼熊」と呼ばれ、警察官、消防団、青年団など計5万人が動員され山狩りが行われた。岩淵は村人の間では信頼されていたが、一方で殺害されたけいや小間物屋の店主は、色仕掛けで商売を行うなど村人の間ではあまり好かれていなかったため、村人たちは岩淵に同情し食事を与えてかくまったり警察に嘘の情報を流すなどして捜査を長引かせた。身軽で山中に詳しかった岩淵は、9月12日に巡回中の警察官を一人殺害している。

 事件の影響で村に報道関係者などが多数訪れた事から、岩淵は商店や宿屋などを経営している村人からは感謝されていたという。事件当時、新聞などのメディアでは、岩淵が自分を裏切った者に対する復讐として事件を起こしたとして同情的な記事を掲載していた。さらに、当時の警察官は一般人などに威張り散らした言動が多く、反感を買うことも多かった事から、警察官を殺傷したことも全国的な人気を得る一因となった。その結果、「鬼熊」の名は全国に広まり、『鬼熊狂恋の歌』という曲が作られるほど人気を博した。

 9月30日、岩淵は先祖代々の墓所に逃げ込み、恨みはすべて晴らしたとして、取材に来ていた新聞記者や知人の前で村人の用意した毒入りの最中を食べ、剃刀でのどを切って絶命した。なお、岩淵は死亡の2日前である1926年9月28日の時点ですでに自殺を決意していたらしいが、28日は酒を飲んでるうちに眠ってしまい、翌29日に首吊りや頚動脈を切るなどしたが、元々体を鍛えていた事から死に切れなかったという。

 事件後、岩淵をかくまったり自殺に立ち会った村人や新聞記者が裁判にかけられるが、自殺幇助となった記者や知人はいずれも執行猶予つきの温情判決が下され、村人たちも無罪とされた。

 1926年9月30日死去(享年34)





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