菅源三郎



菅源三郎(かんげんざぶろう 1883年2月24日生)
 [航海士]


 愛媛県生まれ。1908年に商船学校を卒業。第二次世界大戦時に定期船長崎丸の船長として海軍の捜索要請に協力、揚子江河口にてアメリカの客船「プレジデント・ハリソン」を発見し、これを追跡して座礁させた。

 1942年5月17日に長崎丸が長崎港外で機雷に接触して沈没をする際に、菅は船長として最後まで船橋にあって指揮を取った。菅は救出され、軍側の伝達不足が原因で長崎丸側の責任は無しとされた。しかし同船の死者13名と行方不明26名という惨事の責任をとって、3日後の5月20日に会社のビルの屋上で割腹自決を遂げた。現在彼は今治市の厳島神社に祭られている。

 1942年5月20日死去(享年59)


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